疲れた

j-a-marl2005-05-17

調子に乗ってやってしまった。
いえね、続きさえ書けるかどうか不安なんです。
次のアップは3ヵ月後なんてのもすごく現実的。
不出来なのはごかんべんべん。
耐えられなくなったら削除しやす。


7月も終わろうとする東名。長距離トラックの群れのなか、西へとトランポを走らせる。
ヘルパーの恭子が助手席で軽い寝息を立てている。
ちょうど1年前の今頃、どこにでもあるツーリングクラブの飲み会の席、勢い余って誰ともなく言い鈴鹿4時間耐久出場。
きっと誰かが『そんなのできっこねーよ、レースってのは….』と講釈をたれてくれるのを
半ば予想していたのだが、ついに決定的な否定句が出ることなく、急な加速度をつけ現実化の方向へ傾いてしまった。
20代はじめの、比較的裕福な時代に育った俺たちだが、みな特にこれと言った目的や意識もなく、好きな単車を転がせればなんとなく楽しいや、と言った連中の集まりである。
当然のように『鈴鹿』の響きに吸い寄せられ、瞬く間に出場にまで話はまとまる。
と言ってもライダーとして名乗りを挙げたのは、俺、恭二と慶介の2人だけだったが、サポート役に回りたい連中は意外に多く、中でも比較的時間の融通のきく悟、信也のメカニックに、ヘルパーの恭子を加え、その他は応援団、兼スポットヘルパーと言う街のおんぼろチーム、RTウィンザーが出来上がった。
そして翌日ライセンス取得の申し込みを済ませ、マシンの物色をはじめる。
月のバイト代をつぎ込み、ライセンスはライダー2人でだけで鈴鹿まで行き、どうにか取得。マシンはおのおのが若者としては莫大なクレジットローンとともに手に入れた。
ライセンス取得は数時間の講義、走行マナーや、各コーナー毎に出される旗の意味などを学び、本コースの体験走行で、国内C級のライセンスがもらえる。そして一定の走行経験(時間)をクリアすることで、4時間耐久の出場資格である国内B級へと昇格する。
用意したマシンはホンダ。2台のCBR400RRSP仕様。SPとはスポーツプロダクションの略で、市販車改造クラス、を意味する。要は一般に販売されている400ccの単車をレース用に改造したものである。とはいえ鈴鹿のストレートでは優に200km/hをオーバーする。
もちろんレーサーマシンなので公道は走行できず、よってそれを運ぶトランスポーターも必要になるのだが、運良く、クリーニング店を家業とする悟の父親から借りることが出来た。聞けばこのオヤジさん、単車好きで、若い頃はW1を転がしていたそうだ。
この話を切り出した時も、『なんでおめぇがのらねぇんだ』と悟にけしかけたくらいだ。
太田クリーニング店の特大ロゴはお世辞にもイカスとは言いがたいが、こんなありがたいことに文句を言ったらそれこそ天罰が下る。
ともあれ2ヶ月後、一応レーシングチームとしての形態を整えた俺たちは、初の走行練習へと向かった。
鈴鹿サーキット側の規定により、ライセンス取得直後は、規定時間以上、本コースの傍らにある南コースでの走行を義務付けられる。
前夜、夜遅くまでメンバー全員によって磨きこまれたマシンを積み込み、東名高速をにしへ岡崎I.Cから国道1号へ、それから国道23号線を経由して鈴鹿へと入る。
早朝3時の到着。ゲートオープンまでしばしの仮眠を取る。
周囲の車のエンジンがあわただしく掛かり始め、ゲートの開くことを告げた。
本コースへ向かう先輩レーサーたちを横目に、初心者の俺たちは別コースへと頭を向ける。
鈴鹿サーキット南コース。
本来、ミニバイク、レーシングカート用に設計されたコースだ。当然コース幅も狭く、タイトコーナーだらけだ。
とは言っても俺たちにとっては、生まれて初めて無制限で走るサーキットであることに変わりはない。
ゲートインからぎこちなく走行準備を始める。悟と信也を中心にマシンチェック、ツナギやサインボードの点検は恭子を中心に、それぞれライダー2人が手伝う。
1日に何本かある走行時間帯の中の、最初の組が練習を始める。轟音とも呼べる排気音とともに、にわかに活気付く場の空気が五感を刺激する。
そうこうするうちに自分たちの走行時間が近づき、興奮と少々の不安とともにコースイン待ちの車列にマシンをつける。
偶然なのだが走行予約の都合上俺と慶介の2人、同じ走行時間帯となった。
極度の期待と緊張に嗚咽を催しそうになるが、それもエンジン始動とともに腹のそこへ呑み込まれてしまった。
コースクリアーのサインとともに各車、順次コースインして行く。
どんなスポーツでもそうだが、見るのと実際に行うのではかなりのギャップを生ずる。観客側から見て、きれいな試合が出来るまでにはそれ相応な修練が必要になる。
このときの俺たちもまったく同じで、きっと傍からみればなんともぎこちなく、危なっかしいものだったに違いない。
そしてコースイン。
まず、マシンの違いに驚かされる。ライセンス取得時に一度は乗っているのだが、先導車付の体験走行のみ。前述の通り実際に制約なしのフリー走行を行うのははじめてである。
まず、改めて感じるのは、いわゆる下がない状態。
パワーバンドを外してしまうと、いかに4ストロークのマシンとはいえ大幅に加速が鈍い。当然一旦パワーを得れば、軽量化も手伝いかなりの動力性能を発揮する。ゆえにことさら減速回数の多いこの低速コースでは乗りにくい。
あとで気付くのだが、本コース用のセッティングデータで仕上げたマシンゆえ当然の結果ではあったのだが。
普段、峠道などではかなりの自信を持っていた俺たちだったが、そんなものは初めの数周で吹き飛ばされた。
突っ込みすぎては立ち上がりでもたつき、ひどいときにはオーバーラン寸前。と言った有様だ。それでも周回ごとにコースを覚え、おのずペースも上がってゆく。そんなさなか、自分のことで精一杯で、トンと忘れていた慶介の背中が見えた。
どちらかと言うと常に冷静で、理論的走りをする慶介。対して感性のまま、と言えば格好が良いのだが、いわば一発的速さの俺。
見えた慶介に追いつきたい一心で、さらにペースを上げる。
が、これがいけなかった。
ストレートエンドの1コーナー脱出でリヤを滑らせそのままスリップダウン
いや、こけた。
自分の目の前をゆっくり回転しながら滑っていくマシン。
そのスローモーションが終わると同時にすぐさま駆け寄りダメージをチェックする。
幸いリヤから滑ったおかげで擦り傷程度で済んだ。急に悔しさと後悔と恥ずかしさが組み合わさった、妙な気分にさいなまれた。転倒時のアクセルワークやいやな接地感までがまだまざまざと体に残っている。次の周回、転倒している俺に気付いた慶介が走りすぎる。間もなく走行時間が終了し、転倒車両を引き上げるレッカーに回収されピットへと戻った。
みんなの期待にこたえられなかったような、なんとも切ない心持でパドックへ戻ると、たいした怪我もなく、ただ暗い表情だけを浮かべていた俺に、
『大丈夫か?まじであせった』
『マシンも大丈夫みたいだから』
と口々に声を掛けてくれた。
みんな安心して一息ついたところで
『やーい、ヘたっぴぃー』
と恭子の突然の一言。一瞬の沈黙の後、揃って大笑い。
恭子はこういう場を和ませる技についてはチーム一の達人だ。おかげで随分おれの気持ちもほぐれた。引き上げの準備をし、あわただしくサーキットを出る。
帰りの道中、初走行の感想やら反省やら俺と慶介を中心に話は尽きなかった。そして無事に俺たちの街へと帰り着き、初練習のすべてのスケジュールを終えた。